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「まきの聖修の、出せ静岡の底力」
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経済成長と財政再建とを両立させる日本再生計画
「持続可能な国家」の実現に向けて
[2021.11.1]
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ゼロ金利政策を続けて日本を衰退させた日本銀行 |
PHOTO(C)Nippon-Ginko |
国民にとって選択肢が無かった総選挙
10月31日、4年ぶりとなる衆議院議員総選挙が実施された。
結果は、自民党が絶対安定多数の議席を確保し、立憲民主党は惨敗した。「野党統一候補」戦術は完全に裏目に出て、失敗に終わった事になる。
今回の総選挙は、まさに絵に描いたようなポピュリズム全開の選挙戦となった。
各党はいずれも「給付金」の支給を公約に掲げ、あたかもバラマキ選挙の様相を呈していた。
自民党は「コロナで困った人に経済的支援」、公明党は「高校3年生まで1人10万円の給付金」、立憲民主党は「低所得者に12万円の特別給付金」、共産党は「コロナ減収で1人10万円の特別給付金」、維新の会は「無条件支給のベーシックインカムを検討(月々6~10万円)」、国民民主党は「全国民に10万円の再給付(低所得者は20万円)」、れいわ新選組は「1人あたり毎月20万円の現金給付(3カ月間)」、社会民主党は「一律10万円の特別給付金」、N党は「期限付きの電子マネー10万円給付」と、異常なまでに「現金給付」公約のオンパレードである。
因みに、昨年4月に給付された「特別定額給付金」10万円の内、実際に使われた金額は、1人当たり平均2万7千円程度であったという調査結果がある(クイーンズランド大学の研究論文)。
デフレが30年間も続き、人々の給料が上がらない環境に置かれていれば、急にお金が入ったからといって、直ちにそれを使うという行動にはならない。また経済的に苦しい人ほど、お金を貯め込む傾向にある。
従って、給付金を支給したからといって、それが消費拡大や景気回復につながる事はない。
たとえ現金が給付されても大半が貯金に回って使われないのであれば、果たして「給付金」自体に意味があるのかどうか疑わしい。
今回の総選挙においては、各党が唱えていた「現金給付」というバラマキ公約に、多くの国民は辟易していた。
そもそも「金を配れば支持が集まる」という思考回路そのものが国民蔑視であり、愚民政策に他ならない。
しかもバラマキ公約の財源が「国債発行」であるとすれば、国民が怒るのも当然である。
目先の当選を獲得する為に、国民に国の借金負担を押し付けようとする議員候補者ばかりであれば、国民には投票の選択肢が無いことになる。
まさに「議員栄えて国滅ぶ」という状態である。
果たして、本当に国債増発を望んでいる国民が実際にいるのだろうか?
国民の大半は、国債増発には懐疑的であり、そこまでして「現金給付」を望んでいるわけではない。
いずれはそのツケが自分達に回って来る事を国民は知っているからである。
もし本当に積極財政が必要なのであれば、安易に国債を財源とするのではなく、無駄な歳出を削減するか、あるいは国有資産を売却するなど、自ら努力して財源を捻出するべきであろう。
また赤字国債の乱発は、子供達に将来の国の借金を肩代わりさせるという意味で、形を変えた「児童虐待」だと指摘する声もある。
そればかりか、「給付金をやるから票をくれ」などと、金を配る約束をして有権者を買収する行為自体が、公職選挙法に抵触する可能性さえ指摘されている。
岸田首相が掲げる「新しい資本主義」とは、詰まるところ「財政出動を推進する」というだけの話であって、しかもその財源が「国債発行」というから、一体どこが「新しい資本主義」なのか意味不明である。
財政出動の財源が「赤字国債」という点においては、自民党も野党各党と同様のポピュリズムに他ならない。
本来、政治にとって何よりも重要な課題は、「持続可能な国家」を実現する事である。
国政を真剣に考える人々にとって、今回の総選挙は「選択肢が無かった選挙」であった。
これでは投票率が低くなるのも当然である。
そもそも議会制民主主義の最も重要な国政選挙において、「財政健全化」を公約に掲げる政党が一つも無いという現状こそが、この国の大問題であろう。
投機筋主導による通貨破綻や国債破綻は起こり得る
現在日本国内では「財政再建不要論」を吹聴する人々が一部に存在し、赤字国債乱発を推奨する暴論が広範に流布されている。
問題は、そうした赤字国債乱発論に同調する政党や政治家までが存在している事である。
彼等の多くは、「日本は自国通貨建て国債を発行しているから財政破綻しない」あるいは「日本の国債は全て国内で消化されているから破綻しない」などといった事実無根のデマを吹聴している。そしてそれらの誤ったデマを根拠に「赤字国債乱発」を提唱する。
念の為、ここで一応事実を述べるならば、たとえ国債発行が自国通貨建てであろうと、「現物」の国債を保有する大部分が自国民であろうと、信用を失った国債や通貨は破綻する。
分かり易い実例として、「ポンド通貨危機」が挙げられる。
ポンド通貨危機とは、1992年、英国経済が低迷していたにも関わらず、ポンドが過大評価されていることに目を付けた投資家のジョージ・ソロスが、大量のポンド売りを仕掛け、イングランド銀行(=英国の中央銀行)などの防戦を打ち破って、大幅なポンド切り下げに追い込んだ事件である。
1990年代初頭の英国は、失業率が上昇し始めていた。一方、欧州各国通貨は通貨高となっていた為、欧州為替相場メカニズム(ERM)によって欧州通貨と連動していた英ポンドも、将来の欧州共通通貨(ユーロ)への統合に向けて、高めに固定する政策を取っていた。
そうした中、巨大投資ファンドを率いるジョージ・ソロスは、「英国経済に比べて、通貨のポンドが英国政府によって無理に高く固定されており、明らかにおかしい」と判断し、「ポンド売り」を仕掛けた。
かくして1992年9月上旬からジョージ・ソロスと英通貨当局との間に激しい攻防が展開された。必然的な展開として、この動きに便乗して一攫千金を狙う世界中のヘッジファンドや一般投資家達も相場に参入した。
9月15日、投機筋による激しいポンド売りにより、ポンドのレートは変動制限ライン(上下2.25%)を超えた。
翌16日、自国通貨ポンドを買い支えようとするイングランド銀行は、大規模なポンド買いの市場介入に加えて、公定歩合を10%から12%へと引き上げ、さらに同日中にもう一度15%に引き上げたが、それでも投機筋による売り浴びせは止まらず、結果、ポンドは大きく切り下げられた。この1992年9月16日は、ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれる。
1992年9月のポンド売り浴びせの取引により、ジョージ・ソロス率いるクウォンタム・ファンドは、10億~20億ドルもの利益を得たと言われている。
また1992年9月以降、ポンドは1995年まで下落を続けることになる。
通貨ポンドが破綻した英国は、最終的に欧州為替相場メカニズム(ERM)から脱退した。
かくして、当初はユーロに通貨統合される予定であった英ポンドは、ユーロに統合されることなく、通貨切り下げを機に変動相場制の自国通貨として今日に至っている。
このように、一旦ヘッジファンドの標的にされれば、全世界の投資家達を巻き込んで、一国の通貨が簡単に破綻させられるのが現代の国際金融メカニズムなのである。
金融経済は実体経済を支配し、「先物相場」は「現物相場」を支配する。これが現実の世界経済である。
「外国為替取引」「債券先物取引」「株式先物取引」等においては、「現物」を保有していなくても、「証拠金」を積みさえすれば、その何万倍もの量の取引を実行出来る。
日本のバブル崩壊の契機となった1990年の東証株価大暴落も、外資系ヘッジファンドによって日経平均「先物」が売り浴びせられた事によって生じた事態であった。外資系ヘッジファンドは、株式「現物」を売ったのではなかった。
従って、日本国債の信用が低下すれば、たとえ日本国債の「現物」を持っていなくても、債券先物市場において大量に日本国債「先物」を売り浴びせて暴落させる事が可能なのである。仕掛けたファンドは大儲けすることになる。
そして、「先物相場」で決定した価格に応じて「現物」の価格も決まる。「現物」が一切動かなくても、価値は毎日変動しているのである。
このように、投機筋主導による通貨破綻や国債破綻が十分起こり得るのが、現在の世界経済である。
そして、かつて英ポンドが投機筋の標的にされたように、今や日本の国債が投機筋の標的にされつつある。
現在、日本国債の国際評価は低下の一途を辿り、国際金融市場においては「ジャンク債」化しつつある。
「ジャンク債」とは、信用度が低いために「投機」の対象として投資家達のオモチャにされる「クズ債券」である。
黒田日銀総裁の「異次元金融緩和」政策以降、日本銀行が政府発行の赤字国債を積極的に買い続けている状況は、すでに日本の国家財政が破綻している事実を証明している。本来、中央銀行が国債を引き受ける事は財政規律に反する禁じ手である。
海外の投資家から見れば、日本はすでに財政破綻国家なのである。
今後、ヘッジファンドをはじめ投機筋が、いつ日本国債を売り浴びせても不思議ではない状況にある。
例えば、国際的信用を失った日本国債「先物」を、中国系ファンドが大量に売り浴びせて大暴落させ、日本経済を大混乱に陥れる事も十分あり得る事態である。もし中国当局が仕掛けるとすれば、台湾有事との同時攻撃が予想される。
「日本は自国通貨建て国債を発行しているから財政破綻しない」あるいは「日本の国債は全て国内で消化されているから破綻しない」などというプロパガンダは、全く事実無根の悪質なデマである。
こうしたデマを流布する人々は、債券先物取引や金融経済について全く無知な勉強不足の人達か、あるいは知っていながら意図的に虚偽情報を流して混乱を誘発しようとしている確信犯の人達か、いずれかである。
たとえ日本国債の「現物」が全て買われていようが、国債「現物」の国内保有率が高かろうが、債券先物取引においては一切関係がない。今後、ヘッジファンドなど投機筋によって大量に売り浴びせられると想定されるのは、日本国債の「先物」であり、「先物相場」が「現物相場」を支配するのが国際金融市場なのである。
つまり、「現物」の取引自体は全く正常であっても、先物取引市場で大きな変化があれば、「先物」の価値に合わせて「現物」の価値も大変動するのが現在の金融システムである。
しかしながら日本国内では、「日本は財政破綻しない論」が広く人口に膾炙し、無責任な赤字国債乱発論が跋扈しているのが現状である。
しかも赤字国債乱発による積極財政の政策案が、各政党の選挙公約にまで取り入れられてしまうとすれば、まさに亡国への道である。このままでは日本国債の「ジャンク債」化の流れは止まらない。
国内において近年急速に台頭しつつある「日本は財政破綻しない論」と、それに基づく積極財政論や赤字国債乱発論などの背景には、日本経済崩壊を企図する某国による工作の可能性さえある。
公定歩合引き上げによる「正常な経済成長」
「持続可能な国家」実現の為に、先ず実行すべき事は「正常な経済成長」である。
安倍政権下においては、「アベノミクス」と称して異次元の金融緩和や大規模な財政出動を実施したにも関わらず、10年近く経っても経済成長は実現出来なかった。
世界各国のGDP推移のデータでも明らかなように、経済成長は長期金利に比例する。
従って、ゼロ金利とゼロ成長とは表裏一体、コインの表と裏なのである。
ゼロ金利状態を維持したままでは、いくら金融緩和や財政出動を実行したところで、GDP自体が増加する事はないし、経済成長もあり得ない。
また後期アベノミクスのように、GDPが増加しない状態で、「就業率」だけが不自然に上昇した場合、個々の取り分が縮小する結果となり、「貧困の分配」がもたらされる結果となる。
つまり、アベノミクスによって実現されたのは、「貧困のトリクルダウン」であり「共同貧困社会」であった。
予想された結果とはいえ、これまで約10年間をかけてきた壮大な社会実験として、「ゼロ金利によるゼロ成長」の相関性が実証されたことになる。大量の経済犠牲者と多数の自殺者を出して得られたこの実証結果を、私達は決して無駄にしてはならない。
一方、過去20年間のOECD諸国のGDPが着実に伸び、経済成長を遂げているのは、いずれの国々も一定の金利水準を維持し続けているからである。
例えば、長期金利が7パーセントの国であれば、放っておいてもGDPは10年間で倍になる。長期金利が5パーセントであれば、特に何もしなくてもGDPは15年間で倍になる。
かつて日銀の公定歩合が5.25%であった1990年当時には、「1人当たりGDP」の世界ランキングでは、日本が世界1位であったが、2020年には26位にまで転落した。
「国際競争力」の世界ランキングは、1992年には日本が世界1位であったが、2020年には34位にまで転落した。
またゼロ金利の結果、我が国の給与水準は30年間も変わらず、横這いが続いている。給与水準は今や先進国で最低水準であり、韓国にも追い抜かれた。
このままゼロ金利を続けるならば、確実に日本は先進国からも転落するであろう。
日銀が公定歩合を上げない限り、GDPの増加も経済成長もあり得ない。
逆に言えば、日銀が公定歩合を上げれば、GDPの増加も経済成長も可能となる。
しかしながら日銀は、公定歩合を引き上げる事に心底から恐怖心を抱いているようである。
30年前に日銀が公定歩合を引き上げた結果、バブルを崩壊させてしまったというトラウマが、今もなお日銀の行動パターンを支配している為である。
1990年8月30日、日銀が公定歩合を5.25%から6%に引き上げると、日経平均株価は大暴落し、その後株価の下落は約1年近くにわたり続いた。
日銀は翌年の1991年7月1日に公定歩合を5.5%に引き下げたが、株価が上昇する事はなく、その後ずっと株価低迷が続くことになる。
それ以降も日銀は公定歩合を段階的に引き下げ、1995年9月8日に0.5%まで引き下げた後も、さらに細かい幅の引き下げを繰り返し、1998年にはほぼゼロ金利状態となった。その後、今日に至るまで20年以上にわたってゼロ金利状態が続いている。
かくして21世紀の現在では、「公定歩合」という言葉は死語と化した。それ故に、日銀の公定歩合の重要性や意義も世の中から忘れ去られてしまったようである。
因みに、中学校の教科書レベルのセオリーでは、「デフレや不景気の場合は、日銀が公定歩合を下げて市場に通貨を流通させて景気を良くし、好景気が続いてインフレが加熱すれば、逆に公定歩合を上げてインフレを抑制する」という建前になっている。
しかしながら、現実の経済は決してそうしたセオリー通りにはならず、「パラドックス」や「罠」だらけである。
古代ギリシャのゼノンが唱えた「アキレスは亀に追いつけない」のテーゼと同じで、理論としては整合性があっても、現実にはそうならない事がよくある。
実際には、いくら利上げを続けてもインフレが止まらない国もあれば、いくら利下げを続けてもデフレが止まらない国もある。ここ30年間の日本は後者である。
つまり、利上げがインフレの原因になるケースもあれば、利下げがデフレの原因になるケースもあるということである。
従って、金融当局者がよく言うところの、「インフレ率が目標値の2%になれば、その後で公定歩合を上げる」という政策の考え方は、根本から誤りである。
もしインフレ率を2%にしたいのであれば、先ず最初に日銀が公定歩合を引き上げなければならない。
中学校の教科書通りにしか行動出来ない日銀エリートは、今後も決して公定歩合を上げないだろうから、それは政治が介入すべき課題になる。
現状のゼロ金利状態を続ける限り、インフレ率が2%になる事は決してない。インフレ率1%ですら無理である。
これらの事は、アベノミクスの失敗によって既に証明済みである。
「今、金利を上げれば、もっとデフレになるのではないか?」という心配は不要である。
「金利を上げればデフレになる」という現象は、バブル期のような常軌を逸した状態においてのみ生じたレアケースであった。
バブル当時は、猫も杓子も「借入れ超過」という異常な状態であった為に、利上げに伴って民間経済が一斉に行き詰まるという極めて特殊な現象が発生した。
通常の社会の場合、長期金利が上がれば、金利によって得られる利息で様々な投資や消費が行われるようになり、民間経済は自ずと活性化する。
今日のような深刻なデフレ状態においては、日銀による公定歩合の引き上げは、むしろ経済成長をもたらす「誘い水」となるであろう。
そもそもゼロ金利状態では、銀行など金融機関の経営が成り立たない。悪名高い「貸し渋り」や「貸し剥がし」などもゼロ金利に起因しており、決して金融機関が望んでやってきた事ではない。
また、国民の多くがほとんど金利の付かない預貯金を金融機関に死蔵させているだけでは、経済が回るはずがない。
現在は銀行預金には利息がほとんど付かないが、仮に長期金利が2%に上がれば、1千万円の預金のある人の場合は、年間20万円の利息が入ってくる。需要は自ずと喚起されることになる。
今日では、高齢者の大半が、1千万円以上の銀行預金を保有している。従って、日銀が公定歩合を上げるだけでも、高齢者への「福祉」が自動的に実現される事になる。
一方、借金を抱えている人にとっては、金利上昇は痛手となるように見えるが、金利が上がれば給与や収入も増加する為、借金や金利の負担感は減ることになる。
むしろ、これまでのようなゼロ金利の結果、給与水準が30年間も変わらなかった社会が如何に異常であったかを知るべきであろう。
また住宅ローンを抱えている場合も、利上げに合わせて購入物件の資産価値が自ずと上昇する為、深刻な問題にはならない。
因みに、公定歩合を上げれば、国家財政は「利払い」負担で圧迫されるのではないか、という議論もあるが、公定歩合5%の状態が50年続いた場合、放っておいてもGDPは10倍になる。公定歩合5%の状態が100年続いた場合は、GDPは100倍になる。
つまり、1000兆円規模の債務の価値は、50年後には現在の100兆円並の感覚になり、100年後には現在の10兆円並の感覚になるということである。
即ち、100年後には財政再建の課題は、ほぼ解決に等しい状態になる。逆に、現行のゼロ金利のままでは財政問題は永久に解決不可能である。
これから生まれてくる子供達のほとんどは、22世紀まで生きる世代である。財政再建は、「100年計画」で継続する課題として取り組む必要があろう。
公定歩合の引き上げによって実現されるのは、「正常な経済成長」である。これまで日本の「正常な経済成長」を阻害してきたのが、日本銀行であった。
まず日本の再生と成長の為に必要な事は、20年以上にわたりゼロ金利政策を続けて日本を衰退させてきた日本銀行の抜本的改革である。
「持続可能な国家」実現の為の税制改革
今回の総選挙において、「財政健全化」を公約にした政党が一つも無かった事は、日本にとっての大問題である。
財政の健全化なくして「持続可能な国家」はあり得ない。
長期にわたる本格的な「分配」を実現する為にも、先ずは「財政再建」が必要である。
そして、財政再建に必要な課題が「税制改革」である。財政再建と税制改革とはワンセットである。
今日ほど、税制の抜本的改革が必要とされている時機は無い。
そこで先ず「思考実験」として、現行税制の根本から見直してみよう。
現行の法人税は、法人の企業活動により得られる所得に対して課される税である。法人の所得金額は、益金の額から損金の額を引いた金額となっている。
ただし、所得を上回る借入金や損金名目で赤字を作れば、法人税をゼロにする事が可能である。これが法人税制の大きなネックとされてきた。
事実、昭和から平成にかけての「超」大企業であった「西武」は、法人税を全く払っていなかった。現在のソフトバンクも、法人税をほとんど払っていない。
こうした状況では、いくら国内産業が栄えても、国家が豊かになるはずがない。
そこで1980年代、大企業が法人税を払わない歪んだ構造を是正すべく、企業の「総売上高」に対して一律に課税する「売上税」を導入するべきだという流れになった。
ただし問題は、単純に売上総額に課税した場合には、法人税との「二重課税」になってしまう。そこで、売上税は法人税のような「直接税」ではなく「間接税」という形をとる必要があった。
つまり、売上税はあくまで「一般消費者の負担」であって、企業や商店など法人は、売上税を消費者から代理徴収するだけという名目にすれば、二重課税にはならない。こうした間接税の方法は、海外でも広く採用されている。
しかしながら、「一般消費者の負担」という部分に異常反応した社会党などの野党が猛反対した為、売上税法案の国会審議は難航した末に廃案となった。
なお、その後再び提出された同内容の消費税法案は、かなり難航した末に成立し、1989年4月から消費税が導入された。
これまでの経緯からも分かるように、実のところ消費税とは、一般消費者の負担でもなければ、一般国民の負担でもない。
現に財務省内部では、消費税は「第二法人税」と呼ばれている。つまり、事実上の「二重課税」なのである。
あくまで消費税は、法人にのみ課税されているのであって、消費者や国民が消費税を国に納めることは決してない。
国税庁は、売上高の総額に対して消費税率を掛けて出た金額を、法人から機械的に徴収するだけである。
従来の法人税が税金逃れの温床となっていたのに対して、消費税のような「総売上額への一律課税」は極めて有効であり、消費税収入は、1989年の導入以来、着実に向上してきた。
税収全体に対する税種目別の割合は、1990年度では、法人税が41.4%、所得税が29.3%、消費税が22.0%であった。それが2020年度になると、法人税が18.4%、所得税が31.5%、消費税が34.5%になっている。
この30年間で、法人税の割合が半分以下に減り、消費税の割合が約5割増になった事になる。
2020年度の税収総額は60.8兆円、内、法人税は11.2兆円、所得税は19.2兆円、消費税は21兆円であった。
今や税収の主力は消費税であり、30年前の税収の主力であった法人税は、個々人が支払う所得税の約半分の水準にまで落ち込んでしまっている。
ならばいっその事、現行の法人税と消費税とを同時に全廃した上で、売上総額に一律課税する直接税を導入した方が、遥かに税収増につながるはずである。
直接税として売上総額に課税する新設の税を、ここでは仮に「新法人税」と呼ぶことにする。
従来の法人税を廃止すれば、「新法人税」を直接税としても二重課税にはならない。財務省内部で呼ばれている「第二法人税」が、正式な法人税へと昇格する事になる。
現行の法人税率約30%と消費税率10%を共に廃止し、売上総額に一律課税する「新法人税」の税率を20%~25%と設定した場合、企業や商店にとっての負担感は余り無いはずである。むしろ税の負担感は軽くなるであろう。
試算すれば、現行の法人税と消費税を廃止し、「新法人税」の税率を20%とした場合、2020年度の場合は70.6兆円の税収になり、現行の60.8兆円よりも約10兆円の歳入増になる計算である。もし「新法人税」の税率を25%と設定すれば、81.1兆円の税収となり、20兆円以上の歳入増となる。
このように、税体系の抜本的見直しをすれば、納税者に負担感を感じさせる事なく、現行よりも遥かに多くの税収増を実現する事が可能となる。国債発行だけが能ではない。
また「新法人税」は直接税であって一般消費者の負担ではない為、店頭などで「税率」が価格に表示される事はない。各々の企業や商店ごとに価格設定の自由度が上がる為、健全な自由競争が生まれることになる。
消費者側としても、消費税の全廃によって購買意欲が上がり、需要が喚起される。景気は確実に上向くであろう。
以上はあくまで一つの試案に過ぎないが、「持続可能な国家」の実現に必要不可欠な課題が、「税制の抜本改革」である。
我が国の与野党対立においては、「成長」が先か「分配」が先か、というテーマが常に争点となってきた。
だが、ゼロ金利政策を続ける限り「成長」は不可能であり、故に「分配」も不可能となる。
一方、国債を発行して「分配」を実行したところで、それが「成長」につながる事はない。
いずれの政策も、必ず法則どおりに失敗する。
今こそ、ポピュリズムに陥ることなく、「持続可能な国家」の実現を目指す誠意ある政党や政治家が求められる。
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《財団概要》
名称:
一般財団法人 人権財団
設立日:
2015年 9月28日
理事長:
牧野 聖修
(まきの せいしゅう)
定款(PDFファイル)
《連絡先》
一般財団法人
人権財団本部
〒100-0014
東京都千代田区永田町2-9-6
十全ビル 306号
TEL: 03-5501-3413
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