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西側民主主義と「中国の民主」の世界史的闘争


マルクス・レーニン主義を前面に打ち出した「中国の民主」


[2021.12.14]




米国バイデン大統領が主催したオンライン「民主主義サミット」
PHOTO(C)REUTERS


世界革命理論としての「中国の民主」


 米国は12月9日からの2日間、台湾を含む110カ国を集めてオンラインで「民主主義サミット」を開催した。

 これに招待されなかった中国は、直前の12月4日、「中国の民主」と題した白書を発表した。中国にも独自の「民主」があり、それは「米国とは違う民主」であると主張している。

「中国の民主」白書では、「中国式民主とは専制である」と明確に定義されている。

「中国の民主」白書によると、中国民主の本質とは「人民民主」であり、「人民が国家の主人である」ことを核心とする、という。完全な制度プロセスによって実施された「人民民主専制の国体」は、中国人民が人民代表大会を通じて権利を行使し、中国共産党の指導の下、多党と協力することで、多党制の政治的弊害を効果的に回避することができる、としている。

 また「(中国の民主は)中国共産党が全過程を指導する人民民主であり、その制度の配置や実践方法も中国共産党が決定し、さらにこの種の中国式民主を本当に効果的に運用している。これは、世界の人類の民主の発展を探る新たな道筋を示している」と述べられている。

 さらに「中国の民主」白書では、社会主義制度を破壊しようとしたり国家政権を転覆しようとする言動を、これからも民主の名のもとに徹底的に弾圧する、と宣言している。民主と専制の間には矛盾が無く、ごく少数の異見を弾圧することは大多数を保護するためのもので、専制を実行することが民主を実現することなのだ、という。

 こうした表現は、西側諸国のほとんどの人には理解不能であろう。

 だが、ある程度マルクス・レーニン主義について知識のある人達からすれば、中国の言う「民主」という意味が、マルクス・レーニン主義の教義に由来するものである事は分かる。

 マルクス・レーニン主義の教義では、「全て人類の歴史は階級闘争の歴史」であり、歴史上の全ての社会は支配階級による専制独裁社会であると説く。従って、例えば資本主義社会が「自由」や「民主」のイデオロギーを標榜しているのも、支配階級であるブルジョアジーの階級利益の為であるに過ぎず、議会制でさえ階級独裁の道具と規定する。従って、プロレタリア革命後の社会は、必然的にプロレタリア階級による専制独裁社会が実現され、支配階級となった大多数のプロレタリアートが、被支配階級となった少数のブルジョアジーを弾圧する事が歴史の法則であると説く。そしてそうした多数者による専制こそが最も「民主的」な社会であり、プロレタリア革命を指導してきた「党」は、大多数のプロレタリアートの階級利益に奉仕している為、党と人民は矛盾することもなく、党による専制こそが究極の民主主義社会であると説く。

 このような論理からすれば、中国共産党のいう「中国の民主」とは「プロレタリア階級専制」の別名である事は明らかである。

 もともと中国共産党は、マルクス・レーニン主義の教義を信奉する「カルト教団」なのであるから、同じ用語や単語を使う場合にも、西側世界とは意味が全然違うという事を前提にして対応しなければならない。

「神」の定義が各宗教によって違うように、同じ「民主」という言葉であっても、信奉する教義が異なれば、その意味も全く違ってくるのである。

 問題は、戦争や殺人や暴力を積極的に肯定する危険なカルト国家(=中国)が、全世界に向けて「革命の輸出」に乗り出している事である。

 1960年代後半の文化大革命の同時代には、日本や欧米諸国においても、毛沢東の唱える革命教義に共鳴する学生や労働者達が、過激な運動を世界各地で展開していた。

 毛沢東に倣って世界革命を目指す習近平は、半世紀の時を超えて再び世界に革命を輸出しようとしている。

 今回中国共産党によって提起された「中国の民主」も、現代版の世界革命理論の一つである。

 因みに、12月4日の「中国の民主」白書発表の場では、西側のある記者が「米国の政治家は選挙で当選後、成果を上げなければ次に落選し排除されるが、中国の場合、人民が指導者に不満を持っても交代させる方法が無いのではないか」と質問した。

 これに対し共産党中央政策研究室の田培炎主任は、「米国の政治家は利益集団の代理人であり、有権者や国家利益を代表する者ではない。選挙の為に適当な公約を言い、選挙後に公約を守らないことはよくあることだ」「表面上、有権者の監督を受けているといっても、選挙に当選してしまえば有権者にはどうしようもない。ただ次の選挙を待つだけだ。投票のときだけ騒ぎ、投票後は休眠、選挙のときだけ調子のいいことを言って、選挙後は民主が取り残されているのであれば、そんなものは本当の民主ではない。中国人はそんなものは好まないし、必要としていない」と回答した。

 西側民主主義国家で育ってきた人であっても、こうした「中国の民主」のロジックに共感する人々はいるであろう。

 また、アジアや中東やアフリカの発展途上国の中には、欧米型の経済発展モデルは参考にならず、むしろ「途上国の成功モデル」として中国システムを導入したいと考える国も多いはずである。

 そして経済システムを取り入れる際には、その背景となるイデオロギーや価値観も併せて導入するのが通例である。

 現在の世界は、西側民主主義の価値観が衰退し、中国式の価値観の世界へと移行しても不思議ではない歴史的局面にある。



「中国の民主」を容認してはならない理由


「中国の民主」白書では、「外部の干渉によるいわゆる『民主改造』の害は尽きることがない」「いかなる外部勢力も、中国の制度モデルを改変しようと企むことは絶対受け入れない」「外部勢力が『民主』の口実で他国の内政を干渉することに反対する」と強く訴えている。

 これは、「中国式民主」を否定して「西側の民主」を正当化しようとする「民主主義サミット」を明確に意識したものであり、米国に対する牽制でもあった。

 中国は、「中国には中国の民主主義がある」と主張するが、仮に西側民主主義がそうした中国側の論理を認めた場合、すでに西側民主主義は足元を掬われてしまうことになる。

 その理由は、「専制は異なる意見を認めない」からである。

 西側が、西側民主主義のロジックに基づいて「中国の民主」を認めたとしても、「中国の民主」は本質が「専制」である為、中国側が西側民主主義を認める事は決して無い。

 つまり、民主主義者は専制主義者の主張にも耳を傾ける事があっても、専制主義者は民主主義者の主張に耳を傾ける事は無いのである。

 事実、これまで中国国内の人権派の知識人や弁護士達は、一切の弁明も許されず、ことごとく口を封じられ、葬り去られてきた。

 当然、中国は国際社会においても同様に振る舞うであろう。

 中国が発する「お互いに尊重し合おう」という言葉に騙されて、たとえこちらが中国を尊重したとしても、中国がこちらを尊重することは決して無い。中国は、こちらをどうやって葬り去るかだけを考えているからである。それが中国の本質であり、専制の必然的帰結である。

 専制に「互いの尊重」は存在しないのである。

 マルクス・レーニン主義は、「階級闘争に妥協は存在しない」と説く。従って、プロレタリアート独裁の別名である「中国の民主」は、西側民主主義を葬り去るまで闘争をやめる事は絶対に無い。

 故に西側諸国は、決して「中国の民主」を容認してはならない。

 これは例えば、「言論の自由」が成立する為の条件は、「言論の自由を否定する自由だけは認めてはならない」という原則と同様である。

 この種の規範は、日本の市民社会にも存在する。

 日本においては1995年に、「市民社会を守る為には、たとえ宗教団体であっても殺人を正当化する教義を信奉する団体は存在が許されない」という社会規範が成立した。

 また2007年には、「反社会的勢力」を社会から完全に排除する事が、我が国における社会規範となった。

 これと全く同様の論理で、国際社会を守る為には、侵略戦争や革命輸出を正当化する教義(=マルクス・レーニン主義や毛沢東主義)を信奉する団体(=中国共産党)の存在を排除しなければならない事になる。

「ポストコロナ」の2022年以降、いよいよ本格化する国際社会の枠組みの再構築は、西側民主主義の価値観で推進されるのか、中国専制主義の価値観で推進されるのかが問われている。

 この「新冷戦」構造の中、米国バイデン大統領は「民主主義サミット」を110カ国に呼び掛け、来年以降は対面式で開催する事を明らかにした。

 バイデン大統領の狙いが、果たして単なる「対中包囲パフォーマンス」なのか、あるいは100年前のウィルソン大統領による「国際連盟」提唱のような新たな国際的枠組みを意図したものかは、今のところ不明である。

 ただ、中国に対抗する為のイデオロギーとして「民主主義」を持ち出してしまったのは、バイデン大統領の失策であったと言わざるを得ない。中国は中国式の民主主義で対抗してくるだけだからである。

 むしろ「対中国」の論理として打ち出すのであれば、「人権」を全面的に提起するべきであった。仮にバイデン大統領が「民主主義サミット」ではなく「人権サミット」として世界各国に呼び掛けたならば、中国としてはその対応に大いに苦慮したであろう。



人権蹂躙が日常茶飯事の「中国の民主」


「中国的民主主義」を謳歌する中国において、先般有名テニス選手の「失踪」事件が発生した。

 中国の女子テニスプレイヤーの彭帥氏が、張高麗(元・中国共産党中央政治局常務委員)からの性的暴行等に対する告発文をネット上の「微博」に投稿した後、19日間にわたって公の場に姿を現さなかった。この「彭帥失踪問題」は世界に衝撃を与え、中国が来年2月に予定の冬季五輪の開催国として適切か否かを国際社会が問い直す契機となった。

 11月2日の午後10時過ぎ、1600字以上の長文告発文が彭帥氏の「微博」の個人アカウントに投稿された。

 約20分後にこの投稿は削除されたが、その間、約10万人以上のネットユーザーがこれを読み、瞬く間にコピーされてネット上に拡散された。中国のインターネットおよびメディアでは、この話題に関連した記事や書き込みなどは全て削除されたが、中国の有名テニス選手が中国共産党幹部から受けた性被害のスキャンダルは世界中の話題となった。

 その後、彭帥氏の動静が完全に不明となり、失踪状態になった為、各国の人権組織やアスリート団体などが、人権問題の観点から声を上げ始めた。

 WTA(女子テニス協会)のスティーブ・サイモンCEOは、彭帥氏の安全確認が確認されず、中国当局が張高麗の性暴行に対する調査を行わないならば、中国における事業から撤退するとまで言い切った。

 さらに米ホワイトハウスやフランス政府も「彭帥問題」に強い懸念を示し、国際世論も盛り上がった為、中国当局は彭帥氏の無事な映像等を公開するなどして火消しに努めている。

 因みに、彭帥氏に告発された張高麗は、習近平の政敵にあたる上海閥(=江沢民派)に属しており、2013年に拘束され失脚した周永康とも深い関係であった。そういう意味では、今回のスキャンダルは習近平にとっては大した痛手にはならず、むしろ都合が良かった為、彭帥氏は短期間で「釈放」されたとの見方もある。

 今回、彭帥氏の失踪事件のみが特に世界中で話題になったが、実は、中国において市民の「失踪」は日常茶飯事である。

 習近平が中国の実権を掌握して以降、中国共産党は、党や政府にとって不都合な言動を行った国民や、汚職や規律違反の疑いのある役人や党員に対して、法に基づくことなく、任意に「指定居所監視居住措置」を執行している。

 これは、逮捕や起訴といった正規の司法手続の前段階で行われる恣意的拘束であり、対象者をホテルや病院または留置所などに監禁し、党の担当機関が取り調べを行う。拷問や虐待を伴う取り調べが行われる事もあるという。

 なおその間、家族も含めて一切の外界との連絡が絶たれる為、あたかも当人が「失踪」したかのように見えるのである。

 そして、取り調べの報告を受けた党の上層部が「処分」を決定する。この「処分」は法に基づくことなく、党の裁量で決定される。

 そのため、党の上層部が許可すれば、元通りに「社会復帰」が出来る。

 今回の彭帥氏も、こうした「指定居所監視居住措置」が適用されたものと考えられるが、彭帥氏は張高麗の政敵にあたる習近平に対しては悪意を抱いていないと思われる為、彭帥氏の「社会復帰」も、党上層部の配慮によるものであろう。ただし、彭帥氏が現在も厳しい監視下に置かれている事は間違いない。

 共産党にとって「法治国家」とは、あくまで「ブルジョア階級による支配の装置」に過ぎない。

 マルクス・レーニン主義を奉ずる中華人民共和国は、「党が国家を指導する」ことが原則である為、「党」は「国家」よりも上位の存在であり、従って「党」は国家の「法」に縛られる事は無い、という論理で彼等は行動しているのである。

 建国以来、中国は法治国家ではなく一貫して「人治国家」であったが、習近平体制においてこの体質が格段に強化されている。

 その証左として、習近平政権成立以降、「失踪」事件が後を絶たない。

 国家安全法施行以前の一国二制度の頃の香港では、中国共産党にとって不都合な書籍を出版したり販売する書店関係者や、デモに参加していた若者たちが次々と「失踪」した。

 2010年代後半には、中国国内で人権派と見做された知識人や弁護士達が大量に「失踪」していた。

 また、2017年以降のウイグル人の知識人などの「失踪」事件は、分かっているだけでも435人に上り、実際にはそれ以上と言われている。

 ウイグル人の詩人で新疆師範大学教授のアブドゥカディリ・ジャラリディン氏をはじめ、多くの知識人を含む数百人ものウイグル人の「失踪」は、生命の危機を伴っている点で、彭帥氏のケースよりも遥かに深刻な事態である。

 さらに、タイやカンボジア、中東諸国などでも、現地の中国人が忽然と「失踪」するケースが増えている。明らかに国家主権を侵害した行為であるが、世界革命を目指す中国共産党にとっては、他国の主権など眼中に無いのであろう。

 2017年1月に香港の5つ星ホテルから突然失踪した実業家・蕭建華氏は、未だに安否や所在が不明である。

 国際刑事警察機構総裁(ICPO)の孟宏偉氏は、2018年9月、フランスから一時帰国中に忽然と「失踪」した。中国はICPOからの度重なる照会要求を無視し続けたが、孟宏偉氏の妻が西側のメディアに訴えた結果、孟宏偉氏の身柄が中国当局に拘束されていることが確認された。その直後の2019年3月、中国当局は孟宏偉氏の党籍を剥奪した上、収賄・職権乱用の容疑で逮捕・起訴し、現在も拘禁中である。

 新型コロナの影響でロックダウン中の武漢で取材していた市民記者の陳秋実氏は、2020年2月に忽然と消息を絶ち、1年8カ月もの長期間「失踪」していた。「発見」された後も、陳秋実氏は「失踪」中にどこでどのような目に遭ったかについては、口を閉ざしたまま全く語ろうとしないという。

 陳秋実氏と同様に新型コロナを取材していた張展氏は、2020年5月に「失踪」したが、6月下旬に上海の拘置所で監禁されて酷い拷問を受けている事が明らかになった。

 他にも行方不明の市民記者が多数存在するという。

 また、ネット通販大手のアリババ創業者の馬雲氏は、昨年暮れから3カ月もの間「失踪」していたが、今年前半に突然復帰し、以降は何事も無かったかのように活動している。昨年まで共産党に批判的だった馬雲氏は、今や感情を失くしたロボットのように共産党に対して忠実で従順な姿勢を示しており、拘束期間中に、相当過酷な「矯正」と「改造」が施された事が窺われる。

 このように、中国国内における「失踪」事件は日常茶飯事であり、中国の一般国民にも知れ渡っているはずである。

 これは典型的な「恐怖政治」であり、権力が国民に恐怖を植え付ける事によって統治するという、前近代的な統治体制である。

 謂わば中国共産党とは、肥大化した広域暴力団のようなもので、世界最大の「反社会勢力」である。

 中国共産党は、臆面もなく「西側民主主義より優れている中国の民主」などと称しているが、そもそも「法治主義によらない暴力支配的権力」が存在していること自体が問題なのである。

 法に基づかずに市民を拉致監禁し、拷問や虐待を加えるような組織が「国家」を乗っ取っているのが、「中華人民共和国」の本質である。

 本来ならば、そのような「国」と国交を持つのが正しい事かどうかを検討するべきところである。

 西側の私達にとって最大の問題は、中国共産党支配の法治なき「恐怖政治」が、今や国際社会にまで拡大しつつあるという現実である。

 現在の世界は、中国が国際社会のルールそのものを変更しようとする段階へと移行した。

 いずれにせよ我が国の岸田内閣には、人権外交の立場から、中国に対しては毅然とした態度で対峙してもらいたい。

 来年2月に開かれる北京冬季五輪に対して、米国が外交的ボイコットを決定したのは、「新疆ウイグルや香港問題をはじめ様々な中国当局による人権抑圧政策を認めない」という米国としての価値観の表明であった。これは、中国に対する表明であったのみならず、全世界に向けたメッセージでもあった。

 またオーストラリアも米国に続いて外交的ボイコットを表明した。

 それでは、我が国は一体どうするつもりなのか。

 西側諸国との結束を示す為にも、北京五輪の外交的ボイコットを表明するなら、早い方が良い。

 だが現在のところ、岸田首相は国会答弁においても北京五輪の外交的ボイコットに関する明言を避けている。

 イソップ物語の「コウモリ外交」のように、いつまでも中国の顔色を伺いながら、米国との共同歩調も取れないとすれば、その先に待っているのは日本の国際的孤立のみである。

 少なくとも、天安門事件後の外交的「抜け駆け」を再び繰り返して、世界に誤ったメッセージを送る事だけはやめてもらいたいものである。












《財団概要》

名称:
一般財団法人 人権財団

設立日
2015年 9月28日

理事長:
牧野 聖修
(まきの せいしゅう)




 定款(PDFファイル)




《連絡先

一般財団法人
人権財団本部
〒100-0014
東京都千代田区永田町2-9-6
十全ビル 306号
TEL: 03-5501-3413